aoi_tomoyuki's blog

その時書きたかったこと書いてます。

しない善よりする偽善。その言葉の裏側に見えるモノ。

僕はそんなに興味なかったんですが、先日、タイガーマスクを名乗る人物が施設の子どもたちへランドセルを送ったことがニュースになりました。そのニュースを受けて、日本各地で施設などに寄付をする人が現れ始めました。

昨日、2chのまとめサイトでも児童養護施設にランドセルを寄付する記事が注目を集めていました。

ムスカ名義でランドセルを送ろうと思うのだが手紙の内容を考えてくれ

http://hamusoku.com/archives/3960250.html


僕が気になったのは記事の内容ではなく、コメント欄やはてブのコメントに見られた「しない善よりする偽善」という言葉です。
ボランティア関係の話題でたびたび目にする言葉です。この言葉を検索すると一ページ目に2002年の日付を発見することができるので、10年近く使われているということになります。ネットで使われている言葉の中ではかなり長寿です。


「しない善よりする偽善」使い方
A「あ、赤い羽だ。募金してくるお( ^ω^)」
B「どうせ、募集してるあの可愛い子が目当てなんだろ。けっ、偽善者が」
C「しない善する偽善だろ」


まあ、こんな使い方するんじゃないでしょうか。
僕はこの言葉に引っかかりを感じていました。

Aが「しない善よりする偽善」と口にするならともかく、なぜCがそれを言い、Aを偽善者呼ばわりするのか。
CがAの性格をよく知っているなら問題ありません。しかし、ネットで見られるこの手のやりとりでは、ほとんどの場合がどこの誰かも知らない相手に対して行われます。
A、B、Cをネットバージョンに置き換えてみます。


A:vipにスレを建てる。普通の人はやらない誰かのためになる行為をする。
B:偽善乙。自己満オナニー。目立ちたいだけだろ。(Aの行為がみんなから褒められるのを見て批判する。AとBは面識があるわけではないので、批判が的を得ているのかは誰にも分からない)
C:しない善する偽善だろ。(Bの批判を見ての発言。Bの発言を否定しているわけじゃない。Aが偽善者だと肯定した上で、なにもしないよりは偽善でもやるべきだと言っている)


BはAの人格やその裏側に透けて見える思惑を批判するのに対し、Cはのとった行為には価値があると言っています。CはBに対する反論ではありません。B、C共にAが偽善者だということでは一致しているのです。
Cの内面を代弁するとこんな感じでしょうか。


C「そりゃあ、Aは目立ちたいとか、みんなからチヤホヤされたいとか、自分はいい事してるんだって悦に浸りたいとか、なにも考えずネタやノリで楽しみたいだけだとか、色々批判はあるの分かる。そのほとんどの批判は間違っていないだろう。オレもあいつ偽善者だと思うし、Aは友達にはなりたくないタイプの糞野郎だよ。でもな、あいつがやった行為そのものは否定できない。それによって救われた人間、助けられた人間がいるからだ。つまり、しない善よりする偽善ってこと」


Cは大人なんです。
BがA自身を叩いている。その反対意見なのに、A自身を肯定するわけではなく、自分のAに対する感情を表に出さず、Aの行為だけを賞賛する。
自己啓発にありがちな、相手のいいところを見つけなさい的なやり方です。
まあ、世間を上手く渡っていくには、嫌な人でも敵対関係にはならず、とりあえず褒めておいて、そこそこの距離をおくってのが正解なんでしょうね。


Bのタイプの人は「しない善よりする偽善」と言われたら、
「ふうん、偽善者だってのは否定しないんだな。お前も、こいつを目立ちたがりの騒ぎたいだけのオナニー野郎と思ってるんだな?」
とでも言ってみたらどうでしょう。


僕はBでもCでもないです。
褒めたくもないし、みんなが賞賛する中で文句をブーブー垂れるのもなんかイヤです。そもそも、何が善で何が悪で何が偽善なんてわかりゃしないので、そういう話し合いには関わりたくないです。
というわけで、Dの無言で立ち去り見なかったことにするを選ぶと思います。
まったくロクでもない大人になったもんです。











ちんこ